日本の医療崩壊−もともと医師が足りなかった?
2021-09-05


もともと、この国にはお医者さんが足りなかったのだそうです。

これも、虹とみどり全国政策研究会での講演から。日本のコロナ感染症対策について。

 私は、このコロナ感染症禍の始まりの頃から、「医療資源では欧米諸国に比べて特に遜色のないこの日本で、欧米諸国よりはるかに感染者数が少ない段階で、いち早く医療崩壊が起こった事が不思議でなりませんでした。

いろいろと調べてみて、いったんは次のような原因を挙げて、それに基づいて市議会でも質問をぶつけてきました。

日本においては病院が公立病院の統廃合が進められ、民間病院中心に切り替わってきました。近年特に公立病院の経営赤字が取りざたされてきました。公立病院こそ、採算だけにとらわれない医療の提供が求められていたのに、です。
感染症医療は、隔離や医療従事者の感染防止などの面で、通常医療に比べてより多くの人的、経済的負担が医療機関に求められます。そして、突然発生して、急増するのが感染症の特徴だとすれば、感染症医療のためには不断から、医療資源の余力と、緊急時の動員体制が準備されていなくてはなりません。
民間主軸にシフトしていた日本の医療には、この余力と緊急時の動員体制が欠けていた。民間主軸の医療体制は、採算優先が求められる中で、できる限り満床にし、最低限の人員での運営が求められてきたことでしょう。そこに急激な感染症対策へのシフトをこなす余力はなかったと思われます。
保健所設置市として感染症対策の主体となっていた尼崎市当局に、「このような問題についてどう考えているか」と、やや無茶振り気味に質問しました。課題は国レベルの話ですが、問題意識は共有しておきたかったのです。

しかし、今回の講演で、「実は日本の医療資源は一定人口当たりの医師数でOECD諸国平均に大きく劣っている」という事実を知らされました。総数にして13万人が不足しているそうです。中でも感染症専門医は必要数の半分にも及ばないとの事。
医師、看護師の不足、高い個人負担、低い診療報酬、公立病院の減、・・・すべては医療費抑制の国策の下で引き起こされたことです。その中で薬価だけが世界に比して高いのですが、その日本の製薬会社はコロナワクチンの製造には全く出遅れてしまったのですから「何をかいわんや」です。

このように貧弱な医療資源で、感染症対策をとることは無理な話で、そこに日本の政治のお家芸=「起きては困ることは起きないことにする」が登場してコロナ対策のドタバタになった。ということのようです。
あの原発における津波も、全電源喪失もそうでした。「今の堤防を超える高い津波は対策に費用がかかるのでないことにする。」「全電源喪失に対処する装置や訓練は安全性を疑わせるのでないことにする」
感染症対策も、「根本的な医療資源の不足の下で十分には対応できないので、最も根本の感染症予防法の改正などの体制作りはしない。」
感染症予防法自体が古い法律で、現代のような交通関係が発達した社会での感染症対策には間に合わないことは担当者には「わかっていた」はずです。
そうではないですか? 政府は何故「特別措置法」の継ぎ足しで対処しようとしたのでしょうか? 誰が感染症対策の総指揮をとるのか、責任体制もあいまいなまま、すべてを「要請」―「忖度」という無責任体制でしのいできたのがこの国の感染症対策でした。
法的権限のない総理大臣の「一斉休校要請」、補償なき「休業要請」、オリンピック開催・・・。

講師は「インパール作戦」の例まで挙げて、この国の、政治の無責任という病弊を指摘しました。半藤一利さんの言葉も引用されました。「人間の目は歴史を学ぶことで初めて開くものである」 全く同感です。
特に、昭和史のなかに明白なこれらの「病弊」。これから深く学ばなければならないと思いました。

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