ストライキ U
2008-04-11


とすれば、1年間の利益圧迫を甘受した業者からの契約金額の変更申し出は、「入札の公平性確保」を理由にはねつけてしまってよかったのだろうか。再考を求めることは不当なことだろうか。
ましてや、そのことによって、最低5年間は続けて働けることを期待していた、何の過失もない派遣労働者たちの就労が途絶えることになるとすれば、こんな理不尽なことはない。

2 市と当該労働者の関係について
市側は、派遣労働者の雇用問題については「関与できない」との見解である。その上で当該労働者の雇用については、「派遣業者が、現在と同等以上の条件の職場を紹介する、と約束している」と述べる。
まず、派遣業者が次の職場を紹介するのは、派遣業者である限り当たり前のことであって、わざわざ約束してもらうようなことではない。逆に紹介を怠れば、争議行為や労働組合への加入に対する不利益取り扱いとして違法となるおそれがある。当該労働者の雇用について何事か特別なことが言われたわけではない。
そもそも派遣労働者の雇用問題には関与できないのだろうか。契約の成立如何で雇用が続いたり切れたりする労働のあり方自体、使用者としての道義に反するのではないのか。
そのような疑問があるから、雇用関係の全く無い業務委託や指定管理者制度においてさえ、従業員の雇用に対する配慮がしばしば重視されてきたのではないか。派遣労働と派遣先の関係は委託の労働者と委託元の関係よりは直接雇用関係に近い。その雇用に対して「全く関係ない」「関与できない」と言い切ることは、当然に当該の労働者との間に軋轢を生むだろう。

3 今回の争議への対処について
 市はこの一連の経過の中で、「最小の経費で最大の効果」を目指す姿勢しか示してこなかった。これは買い手の論理である。その限りで市側の論理は一貫している。
 ところが、安く労働を買いたい市側と、あまり安くされてはたまらない労働者との間には常に利害の対立がある。売り手と買い手の間の矛盾にたとえることができる。ただ、労働力という商品の売り手が他の売り手と根本的に異なるのは、市場で売り手と闘うための手段、すなわち生産調整、出荷調整、などの手段を持っていないことである。コストすなわち生活費と引き合わないからといって売ることをやめるわけにはいかない。基本的に市場での売り手と買い手の闘いを対等に闘えない宿命を負っている。そのまま市場原理に叩き込めば雇い主の「最小の経費で最大の効果」を求める要求が支配して19世紀のイギリス産業革命後の労働者の惨状が、社会の崩壊まで続く。
 それではたまらないから労働者が労働組合を結成し、賃金労働条件の改善を求めて争議を起こすのであり、そんな社会崩壊の道は困るから労働者保護の労働法制があるのである。
この論理は買い手の狭い枠内では存在できない。その外部にあり、買い手側から見ると「妥協」か「我慢」に見える。しかし、市場経済の中では労働者と使用者の間の労働の売買における矛盾はそのように処理されてきたし、そのように処理するしかない。

各個の判断は合理的でも、それが積み重なることで大きな非合理を導いてしまうことがある。「合成の誤謬」と呼ばれている。一般的には同時多発的な、例えば消費者の行動などの事例で指摘されるが、今回の市民課入力業務の労働争議に対する市の対応は、主体がひとつで、時間を追って判断が積み重なっている場合の例と言えそうである。
市の判断、対応はそれぞれの局面、局面で、買い手の論理としては合理的であった。しかし、それが積み重なることにより、大きなトラブルを生じ、買い手の利益の見地からも差障りが出る結果となる。

格差社会へ問題提起の気運の中で、この争議は全国的な注目と支援を集めることとなっている。同時にこの争議は、市の行財政構造改善の大きな手法である「アウトソーシング」「労務政策」に暗雲を投げかけた。

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[市民の力ニュース]

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